マレーシア・サラワク州2011年度調査(前編) クルアン村、カンポン・オゴス村、ルマ・エラム村の事例

前編ではサラワク州における2011年の調査の中で、7の村のうち3つを取り上げます。

サラワク州では現在、開発中止を求める先住民族が原告となり、州政府や開発企業を訴えている裁判が約150件も起きています。現地NGOのサラワク・ダヤク・イバン協会(SADIA)によると、地裁では原告側がほぼすべて勝訴しており、司法上は先住民族の土地に対する権利は認められる傾向にあります。

先住民族が土地を使用する権利を持つとされる最も大きな法的根拠は、1958年に発布された「サラワク土地法」です。同法では、1958年1月1日までに先住民族がその土地を(例えば、農地、墓地、野草や果実・ゴム採取地等として)使用していたのであれば、「先住慣習権(Native Customary Right:NCR)」を認めるとしています。

実際、サラワク先住民族のほとんどの村は1958年以前からその歴史を有しているのですが、開発企業は判決を尊重することなく、各地の村落にあらわれては森や農地を開墾しています。これは企業側の一種の作戦で、村はずれで開墾を始めた際にその村が抗議行動を見せず、わずかな補償金で開発交渉のテーブルにつきそうであれば、企業はそのまま開発を進めますが、もし村から抗議運動が起これば、そこの開発は諦めるのだそうです。ただ最近では、企業がそこの開発を諦め撤退しても、今度は住民自らが農地や森を開墾し、ミニ・プランテーション化する動きも出てきています。


No.1
村名:クルアン(Kulean) ミリ省ミリ郡バラム地区
民族:カヤン人
概要:開発が進むバラム地区中流域にあるが、商業伐採からもアブラヤシ農園開発からも免れている。土地に対する既得権を強調するため、村の境界線に植林を行ったり、GPSを使って村の境界線を明確化する地図を作成。これを模倣する村も増えてきた。

No.2
村名:カンポン・オゴス(Kampung Ogos) ミリ省ミリ郡スアイ支郡
民族:プナン人
概況:LCDA(サラワク州土地管理開発機関)との間で「住民の農地にアブラヤシを植え、収穫後は収益の30%を村に戻す」との契約を結んだが、13年間に渡り反故にされた。騙された住民は2011年4月、「もともとは自分たちのもの」と土地に入り込み、アブラヤシを収穫・売却し現金化した。開発側に理がないことからか、警察の介入もなく、事態の収拾は見えない。

No.3
村名:ルマ・エラム(Rumah Elam) ミリ省ミリ郡ウルニア地区
民族:イバン人
概況:アブラヤシ農園に雇われた暴力団と1999年に乱闘事件が勃発し、暴力団側4人が死亡。だが、現在はパーム油の価格高騰を受け、村長自らが自身の畑と森を開墾し、ミニ・プランテーションを造成。月収は日本円にして約94万円にものぼる。

 

1 クルアン

 

今、サラワクで最も厄介な村として認識されている一つが、ミリ省のバラム川中流域にあるカヤン人のクルアン村(約20世帯)です。同村は、サラワク州政府から村として正式に認められていません。というのも、この村は、ウマバワン村(約70世帯)の有志が「森を守りながら自分たちの地域起こしも進めていく」との趣旨で、1987年、村から離れたクルアン川流域の地区を開墾してつくり上げた集落なのです。村として認められていないため、小学校も診療所も設置されていません。住民の「森を守る」という強い意志が、開発の進むバラム川中流域にあって同地の森林を保っています。

村の代表はジョク・ジャオ・イボン氏。その戦略と行動力・交渉力で集落を支えてきた人物です。その手腕を買われ、1990年代後半からは現地NGO「地球の友マレーシア(SAM)・サラワク支部」の事務局長に就任。現在は生活の拠点をSAM事務所のある下流部の町マルディに移していますが、時間があれば半日がかりでクルアンに出向き、住民と今後について話し合っています。

1987年、ウマバワン村では、当時激しさを増していた商業伐採による環境破壊を食い止めるため、多くの男性が半年に渡って伐採用道路を封鎖する抗議行動に出ていましたが、10月29日、42人が逮捕される事態に発展。42人はその後2週間拘留されましたが、この時の逮捕者の大半が、その後クルアン村に軸足を置くことになりました。

そして1989年から、村では逮捕日となった10月29日を「勇者の日」として、サラワクで同じような問題を抱える村々の有志に集まってもらい、今後について話し合う「勇者の祭典」を毎年のように続けてきました。そこに参加した多くの村々が刺激を受けたのが、クルアンの植林活動でした。ジョク氏が強く打ち出した作戦の一つで、サラワクの村々の弱点をカバーするために考案されたものでした。

サラワクは1963年にマレーシア連邦に併合されるまではイギリスの植民地でした。当時、村の境界線を示す地図は存在していたと言われていますが、政府は現在、地図の存在を否定しており、村の境界線を確定させる作業にも着手していません。つまり、先住慣習権(Native Customary Right:NCR)の範囲を示す公のデータがないのです。境界線がない以上、企業側にしてみれば、太い木があれば伐採でき、沃土があれば農園開発にも乗り出せることになります。

そこでジョク氏が打ち出したのが、自分たちが古来使ってきた土地(NCRがある土地)と州有林との境界線上に木を植える活動です。果物を実らせる果樹、頑丈な建材となる樹木、薬用になる樹木などを植えることで、自分たちの土地の境界を明確にし、NCRを外部の人間に訴えるのです。

「勇者の祭典」に参加した村々のうち、苗木を揃える村もいくつか現れました。もちろん、そういう活動をしていることを、企業側に説明する必要はありますが、今のところ、こうした植林樹を破壊してまで、企業がNCRのある土地に立ち入ったという話は聞かれないそうです。

パーム

クルアン村でこの植林を始めたのは1996年。樹木に通し番号を付けながら、現在までに1万本以上を植えているそうです。中には大きく育つのに40年かかる樹種もありますが、活動の担当者を務めるジョク・エン氏は「孫子の代まで森を守れるのなら短いもの。一生この活動に貢献したい」と語っていました。

一方、SAMサラワク支部では、1990年代後半から欧米のNPOの財政的・技術的支援を受けながら、マッピング(地図の作成)を進めています。具体的には、村の境界線上を歩きながら、GPSを使ってその緯度・経度を記録し、情報をコンピュータ処理して村の境界線を表す地図を作ります。「確かにウチのエリアとは重なっていない」と証明するために、この作業には隣接する村々の協力が欠かせません。サラワクの多くの村々からうちでも地図づくりを行いたいとの要望が寄せられているそうです。

こうして作成された地図は実際、裁判でその効力を発揮しています。2001年、紙パルプ用のアカシアのプランテーション計画に反対したルマ・ノールという村が、開発企業を相手に開発中止を求めていた裁判で、GPSを用いて作った地図の正確さが裁判所から評価され、歴史的な勝訴を勝ち取ったのです。同年秋に、サラワク州政府は「政府が指定した測量人以外が作成した地図は無効とみなす」との通達を出しましたが、政府が地図を作らない以上、信頼すべきデータはNGOや住民が作った地図しかないため、通達後も地図作成の依頼は続いており、裁判の勝訴にも結びついています。
地図

GPSで得た情報から作成した地図

 

 

2 カンポン・オゴス

 

産業というものは、多かれ少なかれ地元の住民を経済的に潤す一面を持っていますが、例えばサラワクにおけるプランテーションの労働者の実に8~9割がインドネシア人であるように、プランテーション産業について言えば、地元の雇用創出という点では及第点には至っていません。また、プランテーションのために土地を提供した住民たちでさえも、利益を得られないといった事態も起きています。

2011年8月17日、サラワク州ミリ市にある現地NGO「ボルネオ資源研究所」(BRIMAS)のオフィスで、カンポン・オゴス村の住民が記者会見を行いました。記者会見にまで至った背景には、政府のアブラヤシ農園政策に13年間も協力してきたのに、住民がまったく利益を得ることがなかったことがありました。

記者会見
記者会見をしていたカンポン・オゴスの住民たち

サラワク州におけるプランテーション開発において、LCDA(サラワク州土地管理開発機関)は独特の手法を採っています。それは、新たな森林を皆伐するのではなく、先住民族の農地を借り、そこに植えたアブラヤシが収穫期を迎えた際、収益の30%を先住民族に渡すというものです。

村はこの開発に合意し、1,855ヘクタールをLCDAに提供しました。ところが、アブラヤシは植栽後、3~4年で収穫ができるのに、LCDAとその合弁会社であるサラワク・プランテーション社は、1セントも、住民に手渡すことはありませんでした。しかもそれが13年という長い間続いたのです。住民は、収益の分配はいつになるのかとLCDAに毎年尋ねましたが、回答はいつも同じで「調整中」とのことでした。

2011年4月、カンポン・オゴスの住民は話し合いの末、ある決断を下しました。ジャダム・エカム村長は次のように語りました。「これでは永久に利益は得られない。もともと私たちの土地に植えたアブラヤシだ。だったら、私たちで収穫しようと決め、すぐ実行したのです」。住民たちは、自分たちの土地に入り、アブラヤシを収穫し、搾油工場に持ち込み、現金を手にしたのです。

これに対し、LCDAのみならず、サラワク土地開発大臣も新聞紙上で「先住民族は泥棒だ」と同村の行動を非難しました。ですが一方で、サラワク・プランテーション社は、この事件が起きてから村に50万リンギット(約1,400万円)を提供してきました。ただ、これが何の名目で支払われたものなのか(一時金、13年分の分配金、寄付金なのか)の説明は一切ありませんでした。

記者会見前の8月12日、カンポン・オゴスは大臣の見解に異を唱える報告書を村から近いバト・ニア警察署に提出しました。ジャダム村長は、「大臣は私たちを泥棒だと言う。だが、そもそもの泥棒はどちらだったのか。13年間も私たちを騙していたのは誰なのか」と憤りを露わにしていました。

村では、私たちが訪問した8月時点でも、アブラヤシの「収穫」をやめていませんでした。「逮捕などの処罰が怖くないのか」との質問に対し、住民たちは、「怖くはない。私たちは悪いことはしていないから。事実、悪いことをしたのはLCDA。それは皆が分かっていること。だからこそ、向こうも警察を出動させることができない」と答えていました。事態の決着は両者の話し合いによるしかないものと思われました。

 

3 ルマ・エラム

 

今、サラワクの熱帯林に住む各地の先住民族の少なからぬ数が、自らの畑にアブラヤシを植えています。この選択肢は間違ってはいません。それは、米や野菜などの自給作物を確保しつつ、現金収入源として換金作物を育てるのは、至極当然の農業活動だからです。ですが、ルマ・エラム村の状況は衝撃的でした。なぜなら村長自ら、自身の土地をプランテーションに転換していたからです。

1990年代の前村長時代、開発業者に雇われた暴力団がしばしば村を訪れ「土地を売れ」と脅しをかけました。1999年、蛮刀と銃を持った暴力団と、農作業に出るためにナタをもっていた村人とが路上で出くわし、口論から乱闘に発展し、暴力団4人が死亡しました。この事件で19人の住民が逮捕されましたが、正当防衛を訴えた18人は釈放されました。読み書きができなかった75歳の男性だけが、警察が書いた自供書に拇印を押したため有罪となり、刑務所で8年を過ごすことになりましたが、この事件で企業側は開発を断念しました。

エラム村長

エラム村長。背後に見えるのはかつての自身の森。プランテーションのために皆伐し棚をつけた。

ところが数年前、新村長となった40代の女性村長・エラム氏が、自分の持つすべての農地と森をブルドーザーで開墾し、アブラヤシを植え始めました。会社に土地を売って雀の涙ほどの賠償金を得るよりは、自分で開拓したほうがずっと儲かる――事実、エラム氏は今、日本円にして約94万円の月収を得ています。アブラヤシだけを植え、米や野菜はどうするのかとの質問に、「街で買います」と答える同氏は、先住民族伝来の自給自足の農業をもう捨ててしまったようでした。

 

開発

 ルマ・エラム村。自身の森をパワーショベルで開拓する。

ですが、これはリスクを伴うものです。現状のままパーム油の相場が上昇を続けるという保証はありません。先住民族の伝統農法は焼畑が基本でした。大きく育った木を焼き払い、その灰が滋味豊かな肥料となり、米や野菜を育む。収穫後に放置された土地には再び木が生え、10年から20年経ち木が大きく育てば、再び火を入れます。ですがエラム氏の農地にはもう木がありません。焼畑農業にはもう戻れない道を選択したのです。

とは言え、日本円にして月3万円もあれば不自由なく暮らせる土地で94万円を稼ぎ出す彼女は、まさに「勝ち組」。多額の初期投資が必要なので誰もが真似できることではありませんが、模倣する先住民族が出てくるのは間違いないでしょう。

調査時期:2011/08