パルの子どもたちへの本の読み聞かせ

中央スラウェシの州都パルでの地震と津波災害に対する緊急支援は10月26日まで延期されていましたが、ついにその日がやってきました。西スマトラ州の都市パダンを拠点とするオランフレンズ(COPのボランティア)から10月18日よりアニマル・ウォーリアーによる活動のボランティアに参加したNovi Fani Rovikaは、もうすぐ西スマトラに帰らなければならなりませんでした。ペトボやバラロア地域にいた犬や猫の多くは、クラウドファンディグを通じた募金により食料を与えられました。食料の提供だけではなく、健康状態が理由でシェルターに救助されたり治療を受けたりしなければならない犬や猫もいました。

残された時間は多くありませんでしたが、難民所の子どもたちに会いたいという気持ちがあったので、Paluでの最後の日々は夜遅くに外に出かけました。動物の絵本を手に持って、Noviはお話を始めました。パルの子どもたちが眠る前に本の読み聞かせです。

「彼らの学校は津波に流され、液状化により飲み込まれてしまいました。しかし彼らの学びたいという気持ちまで捨て去ることはできませんでした。不安な気持ちはありますが、トラウマではありません。避難所での生活がいつまで続くのかわかりませんが、彼らは学び続けなければなりません。ラタンがなければ、根でもよい(よいものがないときは、何かを使って間に合わせるという意味のことわざ)。学校で勉強することができないのであれば、避難所もその代わりになる。この少しのことだけでもこの先役に立つかもしれません。いずれにせよ、彼らはすぐに立ち直らなければなりません。ときどき悲しみがこみ上げることもありますが、彼らは不屈の精神を持って強く生きています!」とNoviは話します。

原文はこちら(英語/インドネシア語)
http://orangutanprotection.com/2018/10/dongeng-sebelum-tidur-untuk-anak-palu/

訳:熱帯林行動ネットワーク

一日経って、ようやくオランウータンが保護される

身体はやせ細っており、骨と皮の間にあるはずの筋肉や脂肪を見てもありません。このオスのオランウータンは、100cm×100cm×50cmの大きさの木箱に閉じ込められていました。以前は、このオランウータンはもっと大きなケージにいたようですが、それを破壊してしまったため扉のない木箱に入れられたそうです。

エイプ・ディフェンダーのチームは、6時間かけて東カリマンタン州東クタイ県のブンガロンにあるムラタック村まで向かいました。一刻も早くオランウータンを救助できるよう、休むことなく走り続けました。しかしどうしたものか、サマリンダから出発したチームの車のタイヤがパンクしてしまい、道中で一夜を明かすことになってしまいました。

次の日、ブラウからエイプ・ディフェンダーが、サマリンダから県自然資源保護局が 合流し、2014年以降住民に閉じ込められていたオランウータンを保護しました。このオランウータンは人に危害を加えるという住民の話を聞いて、急いで麻酔をかけないよう気をつけました。チームはゆっくりオランウータンに近づき、果物を与えて信頼を取り戻します。そして、最終的にチームの一人であるハルディ・バクチャントロにより抱きかかえられました。「とても痩せていますが、回復してまた再び野生に戻るチャンスが与えられることを願っています」

原文はこちら(英語/インドネシア語)
http://orangutanprotection.com/2018/10/tertunda-sehari-orangutan-ini-akhirnya-dapat-dievakuasi/

訳:熱帯林行動ネットワーク

オランウータンの赤ちゃんの体内から2発の銃弾が見つかる

2018年10月15日、Sampitの自然保護局とCOPのエイプ・クルセイダーは、中央カリマンタン州の東コタワリンギン県、ムンタヤ・フル郡、サンティウン村からメスの赤ちゃんオランウータンを救出しました。極めて野生に近い状態でチームを驚かせたほどですが、検査したところ外傷が見つかったため、パンカランブンの自然資源保護局に輸送されてからさらなる精密検査を受けることになりました。

パウリヌス・クリスティアントは、赤ちゃんオランウータンを救助する道中、銃弾による傷でないことを祈りつつ、このオランウータンをスタンと名付けました。

中央カリマンタンにあるOFI(Orangutan Foundation International)の診療所でメディカルチェックを受けている時、レントゲンを撮って確認すると、小さな身体に空気銃の銃弾が見つかりました。
そのうち一つは頭部の左側から取り出すことに成功した。

スタンは中央カリマンタンの東コタワリンギンにあるアブラヤシ農園で発見されました。まだ1〜2歳ほどの赤ちゃんなので、母親に頼らなければ生きていけません。しかし、スタンはひとりぼっちでいるところを保護され、2発の銃弾が身体から見つかりました。アブラヤシ農園のための森林の割り当ては 当該地域における高い保護価値を無視しているというのは本当でしょうか?

原文はこちら(英語/インドネシア語)
http://orangutanprotection.com/2018/10/ada-2-peluru-di-tubuh-bayi-sutan/

訳:熱帯林行動ネットワーク

タリセ海岸で出会ったザエナブさん

ザエナブさんは手の痛みを和らげるために胸の高さまで上げています。その手は腫れているように見えます。津波が来たときにヌラヤン地域のタリセ海岸から逃げてきたときに怪我をしてしまったようです。彼女の家は、津波の襲撃を逃れた数少ない家の一つとなりました。

地震が起きたとき、ザエナブさんは家にいつも集まってくる猫たちの無事を確認するために家に戻りました。しかし猫たちを探す時間はありませんでした。逃げているときに転んでしまい、避難所に着いたときに手の痛みを感じたそうです。

ザエナブさんはパルに住む他の女性たちのように、庭に集まってくる猫たちを確認するために家に戻りました。それは、パルのシンボルである黄色い橋の近くタリセ海岸にいたアナさんも同じです。アナさんは意識が戻ったときには避難所にいました。“私は死んでしまったのか…”おぼろげに猫の鳴き声が聞こえてきて、まだ生きていることに気づいたそうです。“猫の鳴き声がだんだんはっきりと大きく聞こえてくる。そしてこっちに近づいてくるのを見て、まだ生きているとわかった。”とアナさんは言います。

アナさんは現在、周りにいる猫たちのお世話をしています。これから忙しくなるでしょうと語りました。タリセ海岸を襲った地震と津波は、パルの人々の家や生活の場をすべて破壊してしまいました。いったい何千の人々が離れ離れになってしまったのでしょうか。現在、彼らは希望のかけらを集めるために奮闘しています。

原文はこちら(英語/インドネシア語)
http://orangutanprotection.com/2018/10/zaenab-dari-rumah-nelayan-pantai-talise/

訳:熱帯林行動ネットワーク

3歳の我が子を失いました

Paluの誇りである海岸はもはや幸せな場所ではない。Paluのシンボルで旅行者が必ず訪れる観光地であり釣り人の集いの場であった黄色い橋もまた悲しい姿になってしまった。

「調子はどうですか、奥さん?」
PaluのTalise海岸で津波の被害を受けたペットを救済する動物ボランティアは仕事前にある女性にこう尋ねました。
「元気です。」
「ご家族はいかがですか奥さん?彼らも大丈夫ですか?」
「私は三歳の子供を亡くしました。」
「キャットフード持ってきてくれましたか?」
我々がその返答を聞いて何も言えないでいると彼女は再びこう尋ねました。
「はい、奥さん。ここにありますよ。」
「かわいそうにこのネコたちが食べられるものがもうないのよ。」

彼女が再び話すのを待たずにボランティア達は彼女を抱きしめると、彼女は涙をこぼしました。深い悲しみの中で、彼女は餌に困るネコ達に愛情を注いでやってたのです。彼女にはもう顔見知りのご近所さんがいません。皆津波にさらわれてしまったのです。彼女は避難所に向かいました。今彼女は近所の空き家の前で、三歳の息子の消息に関する情報が来るという奇跡を待っているのです。

被災地での動物ボランティアは簡単な仕事ではありません。被災地では深い共感を持って相手に耳を傾ける必要があります。ありがたいことにPaluの人々はこの辛い状況にあっても変わらず、イヌやネコに愛情を注いでいます。

原文はこちら(英語/インドネシア語)
http://orangutanprotection.com/2018/10/i-lost-my-three-year-old-child/

訳:熱帯林行動ネットワーク

COPへの質問やご不明な点がある方は、こちらのフォームまでご連絡ください。